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ハンター坂に神戸の歴史
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ハンター坂に神戸の歴史
神戸がハイカラと言われるのは、150年ほど前に神戸港が開港して、今まで日本になかった欧米の色々なモノが神戸に入って来て、神戸から広まっていったからやろね。
伯父さん、そしたら猫道を通って、360度ぐるっと回るニャンコの目で、そんな神戸を二人で紹介して行きましょか。
三宮から北野町へ行く時に、
山手幹線の「にしむら珈琲 中山手本店」の西側に
あるハンター坂を
僕はよく使いますね。
山手幹線南側から「にしむら珈琲」のドイツ風の建物がよく見えて面白いからな。
下のマップのマーカーが
「にしむら珈琲」
やからね。
ハンター坂の名前は、この坂を上り詰めたところに、アイルランド人のハンターという人の洋館があったことに由来してて、その洋館は現在、王子動物園に移築されて公開されてるよ。
王子動物園で公開されている「旧ハンター住宅」
「にしむら珈琲」の並びには、創業者がNHKの連続テレビ小説「風見鶏」のモデルになったドイツパンの「フロインドリーブ」や、ジャズライブの店があったり、少し上がると、個性的なマスターのこざっぱりしたバーがありましたよね。
ジャズライブの店やバーに一緒に行ったこともあったけれど、阪神淡路大震災で移転したり廃業したりしてるなぁ。それでも北野坂が観光用のお客さんの道で、ハンター坂は自分たち用の普段使いの道、と今でも思ってるよ。
右の植木のある建物は「カトリック神戸中央教会」で、ここでパールストリートと呼ばれる通りと交差してるけれど、真珠の養殖はしてないのに、なんでパールストリートと言われてるの?。
養殖は、三重県や四国、九州やったけど、真珠を海外へ輸出する時は、
神戸港が
国際港として最も近かったんで使われてたんや。
そしたら海外への輸出港としての役割だけになったんと違う?
それと他にも、この北野地区は六甲山の南側斜面で日当たりが安定してて、真珠の選別や加工に適してたんで、真珠関連の業者が集まってきて、真珠産業が盛んになったんや。
現在パールストリートと呼ばれる一帯がその中心になってたんやで。
勾配がきつくなってきたけれど、しばらく歩くと北野通りとT字交差しますね。
ここの案内板は賑やかですね。
案内板には「ハンター坂北詰」となっていますが、T字交差点を、異人館街とは反対の左側へ少し歩くと、再びハンター坂になります。
ところで伯父さん、ハンターはどんな人?
1843年にアイルランドで生まれたE. H. ハンター(エドワード・ハズレット・ハンター)は、1865年22歳で来日して、1874年に神戸でハンター商会を、1881年には大阪安治川で大阪鉄工所を創立し、それが日立造船へと発展したり、他にも様々な事業を起こし、「範多財閥」になるんやで。
北野通りから再びハンター坂を上がります。洋館が目印ですが非公開です。
坂を上り詰めると道は左右に分かれます。マップでは右側がハンター坂と表記されていますが、
左側には門柱が見えますのでこちら側から上って行きます。
話がちょっと長なるけれど、トアロードの名前の由来となったんが、そこにトアホテルがあったからと言われてるけれど、そのトアホテルの名前の由来となったのが、元々トアホテルが建てられる以前に、そこに建っていた洋館を「The Tor」と呼んでて、それがトアホテルやトアロードの語源になったと言われている説が、僕は妥当かなと思ってるんよ。
門柱を通り、道なりにUターンすると、傷みが酷くカバーが掛けられている塀に出ます。
ハンターはその洋館「The Tor」を、日本家屋を建てた少し後に、ここへ移築・改築したんや。
それが今、王子動物園で公開されている「旧ハンター住宅」なんや。
カバーが掛けられる前、2019年1月撮影時には、ハンターのHマークが見えていました。
洋館は王子動物園へ移築されたけれど、日本家屋は北野天満神社の東へ移されて、「神戸北野ハンター迎賓館」という結婚式場として使われててるのは知ってるやろ。
1917年に75才で亡くなったハンターは、神戸の修法ヶ原にある外国人墓地に眠ってるんやで。
「神戸北野ハンター迎賓館」の塀にHマーク
通りの名前の由来を少し知ると、神戸の歴史に少し詳しくなるね。