六甲山は、ハゲ山だった。

緑の六甲山、青い海と青い空がシンボルになっている神戸ですが、六甲山が緑になったのは、ここ100年の事で、明治時代から続く治山事業によって六甲山の緑は保たれています。

神戸猫のPochi(ポチ)とMontblanc(モンブラン)が見ているのは、2019年に完成した砂防ダムの「再度谷堰堤」です。大師道ハイキングコースにある猩々池の東側です。

2019年7月撮影
これは流木や大きな石などを止める格子状の砂防ダムやね。
なんで六甲山にはたくさんの砂防ダムが必要なんやろ?
僕らが住んでる所は、1時間も歩いたら山から海へ出られるし、逆に海から山へも行けるやろ。それだけ山と海が近い上に、六甲山は急峻やから住宅地の勾配がきついやんか。そやから川が氾濫すると、あっという間に、勢いの強い土砂や流木で大変な災害になるから、川に砂防ダムを造って土砂などを堰き止めて市街地に流れ込まんようにしてるんやで。
諏訪山のビーナスブリッジから港まで、歩いて1時間足らずです。
ダムと言うたら、布引の貯水池みたいに水を溜める所やと思うけれど、
砂防ダムは流れてきた土砂を溜める所やと思ったらええのかな?
そやね、一概にそうとは言われへんけどね。さっきの「再度谷堰堤」は、普段は土砂を溜めんと流して、土石流の時には流木や大きな石を止めるようになてるんやで。土砂を溜めるタイプの砂防ダムはここに来るまでの再度谷川にいくつかあったんやで。
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「諏訪山第二砂防ダム」がそうなんや。ここは流木が下流に流れるのを防止する格子もあるんや。
砂防ダムに溜まった土砂は取り除かへんの?
うん。ダムで土砂を止めて川の勾配や流れを緩やかにして、土砂が流出したり渓流が浸食されるのを防ぐようにしてるんよ。また溜めた土砂で川の両岸の斜面を固定して土石流を防ぐようにしてるので、溜まった土砂は取り除かへんな。
ここは、さっきの諏訪山第二砂防ダムより上流にある砂防ダムやけど、水だけが流れ落ちてるね。
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砂防ダムの上流側は川の勾配が緩やかなので、昨日の雨で流れてきた土砂は川床に溜まってるんやね。
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そやで。六甲山には国や兵庫県や神戸市が造った砂防ダムが約1000基もあって、川の流れを調整して、大きな災害が起こらんようにしてるんやで。
あぁ、おばあさんがよう言うてた、阪神大水害みたいな事やね。
1938年の阪神大水害は、母親が小学生やった頃やから、よっぽど怖かったんやろな。僕が子供の時、何回も聞かされたことがあるわ。

※ 当時の記録を阪神大水害デジタルアーカイブで見ることができます。

なんで、そんな大きな災害になるんやろ?
さっき言うたみたいに海と山が近いので、市街地に勾配がある事と、六甲山は花崗岩で出来てるけれど、その花崗岩が風化作用で脆くなってて崩れやすいので、土砂災害が起こりやすくなってるんやと思うで。
六甲山は崩れやすい山なんやね。
しかも江戸時代や明治時代は薪や炭にしたりするため木を伐採していたので、荒山になっていたのも災害が起こりやすい原因やな。
明治時代でも六甲山はまだ荒れたハゲ山やったん?
そうや。明治時代の六甲山については、「私は瀬戸内海の海上から六甲山の禿山を見てびっくりした。はじめは雪が積もっているのかと思った。土佐の山に禿山などひとつもないからであった。」と、土佐出身の植物学者・牧野富太郎の文章が良く引用されるよ。
そんな状態やったら、ちょっとした雨でも土砂災害になりそうやね。そしたらいつ頃から六甲山に植林をしたん?
植林は明治35年(1902年)から始めてるけど、明治36年(1903年)に始めた再度山の写真があるよ。
砂防植林が始まった明治36年の再度山
明治36年、植林のために山に入る人々
施工から1年後の再度山
明治41年、施工から5年後の再度山
大正2年、施工から10年後の再度山
現在の再度山
6枚の写真は「六甲山ビジターセンター」より引用
10年経ったら山らしくなってるね。
これは2021年4月にハイキングで再度山へ行った時の写真。ここが100年前はハゲ山とはね。
2021年の再度山の山頂
山頂からは、ポートアイランドやその奥に空港島が望めます。
1938年の阪神大水害の後、1967年には「昭和42年7月豪雨」、2018年には「西日本豪雨」と六甲山の土砂災害は梅雨時に起きるんやね。
六甲山は、もろい花崗岩でできてるので、大雨で水を含むと、どうしても土砂崩れが起きやすいから、特に線状降水帯には気を付けんとな。
中央には新港第一突堤から見る市章山、錨山。左にビーナスブリッジが見えます。
これからも神戸の街は治山をしながら、六甲山と付き合っていかなあかんやろね。