神戸では、山から海を見るのか、それとも海から山を見るのか、どうする金田一君?

「神戸文学館」では明治以降の神戸にゆかりのある作家が紹介されていますが、神戸猫のPochi(ポチ)とMontblanc(モンブラン)が興味のある作家は、市川崑監督の「犬神家の一族」の原作者・横溝正史です。

以前のブログ「神戸・原田の森にある 横尾忠則現代美術館で開催中の《原郷の森》は楽しい」で紹介した、横尾忠則現代美術館の前の道路を挟んで向かいにあるレンガ造りの教会建築が「神戸文学館」です。隣り合わせの王子動物園の西側にあります。

神戸文学館は、1904年(明治37年)に関西学院のチャペルとして建てられたんやね。
そやで。ただ、関西学院は1929年(昭和4年)に西宮市の上ヶ原へ移転したんやけど、チャペルはそのまま残したんやね。神戸文学館から山の方へ約20分ほど歩くと、摩耶山へ登れる「青谷道登山口」があるね。
登山口は神戸文学館から標高差で約100m上がるので、見晴らしがええから、近所の人の散歩のコースにもなってるし、さらに奥へ小1時間ほど足をのばして行者堂跡まで行ったり、もちろん摩耶山へ登ったりと、いろんな人がこの道を使ってるね。これは登山口から大阪方面を見てるところやね。
下の写真は登山口から文学館の方を見たところやね。天気がええから、大阪湾の向こうに大阪南部の山並が見えてるね。
伯父さん、「八つ墓村」では、神戸に住んでいる主人公の寺田辰弥が「諏訪法律事務所」を訪ねるんやけど、諏訪神社や諏訪山公園とビーナスブリッジがある諏訪山一帯のイメージがあったんやろか。
横溝正史は1926年の24歳の時に、江戸川乱歩の招きで上京してから、再び神戸に住むことはなかったけれど、神戸弁は抜けなかったと言われてるので、作品の中に神戸の街に因んだものがあっても、おかしないわなぁ。
ビーナスブリッジから海の方を見ると、真ん中あたりにクレーンがある所が、川崎重工の神戸工場で、横溝正史は1902年(明治35年)この近くで生まれてるんやね。確かハーバーランドの umie mosaic から歩いて10分程の所に「横溝正史 生誕の地碑」があったよね。
うん、ハーバーランドの umie mosaic から歩いて10分程の所にあるよ。

ハーバーランドの umie mosaic があった辺りは、今のような商業施設は無くて、

倉庫が立ち並んでいて、高浜岸壁は遊覧船乗り場ではなかったんやね。

高浜岸壁の南の端から向かいにある川崎重工は、1906年に国産初の潜水艇を建造したんやで。その伝統があるんやろな、今でも海上自衛隊の潜水艦が停泊してるのが時々見られるで。

下の古い写真は1956年頃の新港突堤の西側附近やね。奥に見える橋のような建物は、1912年(明治45年)に竣工した川崎重工のガントリークレーンで、1962年には解体されたけれど、神戸港のシンボルやったそうやで。

「ポートタワー今昔物語」の写真より)
そしたら、横溝正史もこのクレーンは知ってたし、見てたんやね。
多分そやろな。ハーバーランドから10分程歩いて「湊小学校前」交差点へ来ると、ちょっと分かりにくいけど真ん中の下に、黒い輪が絡んだような置物があるやろ。

これが「横溝正史 生誕の地碑」で、この碑の作者は「2つのメビウスの輪がつながった形は、複雑に絡み合った難事件が、名探偵により、見事に解決されていく ‘’横溝文学‘’ にイメージを得た。」そうやで。

それで、こんな形になってるんか。ところで「悪魔の手毬唄」で、殺されて顔を焼かれた青池源治郎が神戸で映画の弁士をしていた所は、横溝正史の生誕の地にものすごく近い新開地やろね。新開地は大きな歓楽街で映画館もたくさんあって、チャップリンも来たことがあったそうやからね。
そうや、新開地大通りにあるシンボルゲート「BIG MAN」のモデルは、チャップリンが帽子をかぶってる姿やからね。
神戸で暮らしたことのある人の話をすると、海と山が必ず絡んでくるね。
横溝正史が見たであろう、あるいは彼の作品の登場人物が見たであろう神戸を、山から海へ、あるいは海から山へと、神戸はまだオーバーツーリズムではないから、電車やバスなどを使って気ままに巡ると楽しいよ。